クマの小旅行 (足利:その3 史跡!足利学校)
! Hola, buenos dias !
です。
今日は、足利市一番の観光名所 ”足利学校” の様子をお届けします。
写真もたくさん掲載してありますので、そちらの方も見て楽しんでくださいね~。
ではまず最初に、入口のところから。
ここが最初の入口の門 ”入徳門” です。
←足利学校入り口
この門は、一度焼失(1831年)したものの、明治の時代に再建され、その後移築されたものだそうです。
もともとは裏門として使われていたものだそうですよ。
さて、この入徳門をくぐって中に入ると、すぐ右手に入場券売り場があります。
ここで入場券を購入すると、こんな感じの『入学証』とパンフがもらえます。
←私も入学しました!
でも、無事卒業できたかどうかは不明。。。
もらったパンフレットには、学校敷地内の地図が載っています。 中は結構広いですよ。
←学校内の地図。
では、早速、中に入ってみましょう!
中はなかなか長閑で良い雰囲気です~。
←萱葺き屋根の建物など、のんびりした感じの景色が広がります~。
そして、中に入るとすぐに足利学校の第2の門 ”学校門” が現れます。
1668年につくられたもので、この学校のシンボルになっているんですって!
そういえば、あちらこちらで見たことがあるような...
←第2の門 ”学校門”
この第2の門をくぐって更に中に入っていくと、木々の生い茂る庭に出ます。
←木陰が気持ち良い庭です。
この庭に入ると、左手に ”旧遺蹟図書館” 右手に萱葺き屋根の建物 ”方丈(ほうじょう)” が見えます。
図書館

方丈
旧遺蹟図書館は、足利学校が廃校になった後(1903年)に開設されたとか...
この場所にあっては結構新しい建物です。
それにしても、学校が廃校になってからの図書館って、、、なんか違和感ありますよね~。
一方、方丈(ほうじょう)と呼ばれる萱葺き屋根の建物の方は、学生のための授業や学校行事などが行われたところです。
さて、あらためて正面を向きますと~
そこには、また新たな第3の門 ”杏壇門” があり、その奥にはこの学校のメインの建物 ”孔子廟(聖廟)” が見えます。

この門の ”杏壇” っていう名前は、孔子が弟子たちを教えていた場所に杏の木が植えられていたところから来ているそうです。
ここも一度焼失してしまったそうですが、その燃え残りでもう一度再建したとかいわれてます。 柱などにその跡が残っているとか言いますが...わかんないです。
ちなみに、この門の名前が書いてある看板は、初代のものが別の場所(庫裡)に展示されていますよ。
で、これが足利学校の一番奥まったところにある ”孔子廟(聖廟)” と呼ばれるところです。
中央にある建物は、 ”大成殿” といいます。
←孔子廟の中にある大成殿
建物には、江戸時代以前の感じが漂いますね。 屋根には”シャチホコ”みたいなものがのっています。
←屋根のシャチホコ
←大成殿の入口。
この大成殿の中を覗いてみると、中央に ”孔子座像”、右手には ”小野篁(おののたかむら)像” が安置されています。
左手に何があったか覚えていませんが、説明書きによると『徳川家康の神位などを安置』などと書かれています。
孔子座像→
←小野篁像
ここの小野篁(おののたかむら)という方は、平安時代初期にこの足利学校を創設したという方です。
ただ、足利学校の創設に関しては他にも諸説があり、本当にこの方が創設者かどうかについてはいまだわかっていないようですよ。
さて、孔子廟を見終えたら、次はお隣にある ”方丈”というところに行ってみます。 前には素敵な庭園(南庭園)も拡がっていますよ。
方丈→
←南庭園。
この方丈は中に入ることが出来ます。
中に入るには、建て屋が続いている ”庫裡(くり)” と呼ばれるところから入っていきます。
←庫裡の入口。
この庫裡(くり)というのは、学校の台所だったところだそうです。
なので、差し詰め『勝手口から入る』って感じでしょうか?
庫裡の前には、 ”宥座之器(ゆうざのき)” というものが置いてあります。
宥座とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた 「中庸」 ということを教えるものです。
壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまいます。
孔子は、「いっぱいに満ちて覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めました。
←庫裡前にある『有座之器』
さて、建物の中に入ってみると、まず最初に複雑に木の柱が組まれた天井が見えます。
それと、学校の台所として使われたところでなので、かまどが設置してありますね。
だいぶ綺麗なので、もちろん観光用としてつくったものでしょうねぇ。

では、ここからは靴を脱いで建物の中にあがっていきます。
中にあがると、正面に先ほどの ”杏壇門の古い看板” がケースに入れられて保存されています。
←これが初代の看板か?
そして、左手には、上杉憲実(うえすぎのりざね)の像が置かれています。
この上杉憲実という方は、諸説ある足利学校の創建にまつわる方(創始者と呼ばれる人)の一人らしいです。
←上杉憲実像
ガッチリ、ガラスケースに入れられています。
次に、順路に沿って左側の廊下に入ると、そこは ”脇玄関” となっていて、一隻の屏風と5体の像が置かれています。
←脇玄関にある 孔子と四哲の像
屏風は、 ”孔子巡業の図の屏風” と呼ばれていて、一曲の屏風ごとに論語の一節が書かれています。 また、裏面には絵が描かれているそうですよ。
そして、屏風の前におかれている像は、孔子像を中心に、正面左側から 孟子・曽子・顔子・子思子 の像となっています。
この方たちは、孔子の教えを継承した弟子たちで、 ”四哲” 呼ばれる人たちだそうです。
この脇玄関を抜けると、すぐに手足を拡げて寝そべりたくなるような気持ちの良い大きな広間が出てきます。
ここが、方丈(昔の教室)の中になります。
←方丈の内部
ここを訪れる方はみな縁側に出て、先ほどの南庭園を眺めながらしばらくのんびりしていくようです。
←建物内部から望む南庭園
しばらくのんびりしたら、ほかの庭も眺めながら、建物の中を廻ってみましょう。
←北庭園
←書院前の縁側。 日向で気持ちよさそー。
こちらが書院の中。 書物を読むというよりは、、、ゴロッと横になって寝ちゃいそうです。。。
この書院から孔子廟を望む景色が素敵なようなのですが...残念ならこの中に入ることは出来ませんでした。
←書院。
こちらは中で展示されている書物たち。

さて、建物の中を一通り見学したら、今度は建物のまわりをまわってみましょう。
まずは、建物右側にある”木小屋”と”土蔵”。
木小屋は薪木、農機具や漬け物などが保管された場所で、土蔵は書籍以外の大切なものなどを保管しておいたところです。
←右が木小屋で正面奥の白い建物が土蔵。
こちらは孔子廟を裏から見たところ。
←孔子廟裏
孔子廟の裏を過ぎると ”庠主(校長)の墓” があり、そこを左側の方へ廻ると、そこにはすてきな竹林がありました。
←敷地内の竹林
ということで、これで足利学校の散策は終了となりま~す。
散策を終了したら、次はお隣にあるもう一つの観光名所 ”鑁阿寺(ばんなじ)” に向かいます。
足利学校の出口に向かうところで、こんな少年に出会いました。 アニメの”ワンピース”に出てきそう。。。
←ワンピースの”ルフィ”を意識してる?!
そして、最後は足利学校を出たところにあるおそば屋さんの看板。
この日は”そば打ち名人”が来店していたようです!
ちなみに、私のお昼ご飯はおにぎりで済ませることになっちゃいました...
←そば打ち名人が来店!!!
ということで、今日のところはここまで。
次回は、お隣にある”鑁阿寺”をご紹介します。

では。
! Hasta luego !

今日は、足利市一番の観光名所 ”足利学校” の様子をお届けします。

ではまず最初に、入口のところから。
ここが最初の入口の門 ”入徳門” です。

この門は、一度焼失(1831年)したものの、明治の時代に再建され、その後移築されたものだそうです。
もともとは裏門として使われていたものだそうですよ。
さて、この入徳門をくぐって中に入ると、すぐ右手に入場券売り場があります。
ここで入場券を購入すると、こんな感じの『入学証』とパンフがもらえます。


でも、無事卒業できたかどうかは不明。。。
もらったパンフレットには、学校敷地内の地図が載っています。 中は結構広いですよ。

では、早速、中に入ってみましょう!
中はなかなか長閑で良い雰囲気です~。

そして、中に入るとすぐに足利学校の第2の門 ”学校門” が現れます。
1668年につくられたもので、この学校のシンボルになっているんですって!
そういえば、あちらこちらで見たことがあるような...

この第2の門をくぐって更に中に入っていくと、木々の生い茂る庭に出ます。

この庭に入ると、左手に ”旧遺蹟図書館” 右手に萱葺き屋根の建物 ”方丈(ほうじょう)” が見えます。
図書館




旧遺蹟図書館は、足利学校が廃校になった後(1903年)に開設されたとか...
この場所にあっては結構新しい建物です。
それにしても、学校が廃校になってからの図書館って、、、なんか違和感ありますよね~。
一方、方丈(ほうじょう)と呼ばれる萱葺き屋根の建物の方は、学生のための授業や学校行事などが行われたところです。
さて、あらためて正面を向きますと~
そこには、また新たな第3の門 ”杏壇門” があり、その奥にはこの学校のメインの建物 ”孔子廟(聖廟)” が見えます。


この門の ”杏壇” っていう名前は、孔子が弟子たちを教えていた場所に杏の木が植えられていたところから来ているそうです。
ここも一度焼失してしまったそうですが、その燃え残りでもう一度再建したとかいわれてます。 柱などにその跡が残っているとか言いますが...わかんないです。
ちなみに、この門の名前が書いてある看板は、初代のものが別の場所(庫裡)に展示されていますよ。
で、これが足利学校の一番奥まったところにある ”孔子廟(聖廟)” と呼ばれるところです。
中央にある建物は、 ”大成殿” といいます。

建物には、江戸時代以前の感じが漂いますね。 屋根には”シャチホコ”みたいなものがのっています。


この大成殿の中を覗いてみると、中央に ”孔子座像”、右手には ”小野篁(おののたかむら)像” が安置されています。
左手に何があったか覚えていませんが、説明書きによると『徳川家康の神位などを安置』などと書かれています。
孔子座像→


ここの小野篁(おののたかむら)という方は、平安時代初期にこの足利学校を創設したという方です。
ただ、足利学校の創設に関しては他にも諸説があり、本当にこの方が創設者かどうかについてはいまだわかっていないようですよ。
さて、孔子廟を見終えたら、次はお隣にある ”方丈”というところに行ってみます。 前には素敵な庭園(南庭園)も拡がっていますよ。
方丈→


この方丈は中に入ることが出来ます。
中に入るには、建て屋が続いている ”庫裡(くり)” と呼ばれるところから入っていきます。

この庫裡(くり)というのは、学校の台所だったところだそうです。
なので、差し詰め『勝手口から入る』って感じでしょうか?
庫裡の前には、 ”宥座之器(ゆうざのき)” というものが置いてあります。
宥座とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた 「中庸」 ということを教えるものです。
壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまいます。
孔子は、「いっぱいに満ちて覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めました。

さて、建物の中に入ってみると、まず最初に複雑に木の柱が組まれた天井が見えます。
それと、学校の台所として使われたところでなので、かまどが設置してありますね。

だいぶ綺麗なので、もちろん観光用としてつくったものでしょうねぇ。



では、ここからは靴を脱いで建物の中にあがっていきます。
中にあがると、正面に先ほどの ”杏壇門の古い看板” がケースに入れられて保存されています。

そして、左手には、上杉憲実(うえすぎのりざね)の像が置かれています。
この上杉憲実という方は、諸説ある足利学校の創建にまつわる方(創始者と呼ばれる人)の一人らしいです。

ガッチリ、ガラスケースに入れられています。
次に、順路に沿って左側の廊下に入ると、そこは ”脇玄関” となっていて、一隻の屏風と5体の像が置かれています。

屏風は、 ”孔子巡業の図の屏風” と呼ばれていて、一曲の屏風ごとに論語の一節が書かれています。 また、裏面には絵が描かれているそうですよ。
そして、屏風の前におかれている像は、孔子像を中心に、正面左側から 孟子・曽子・顔子・子思子 の像となっています。
この方たちは、孔子の教えを継承した弟子たちで、 ”四哲” 呼ばれる人たちだそうです。
この脇玄関を抜けると、すぐに手足を拡げて寝そべりたくなるような気持ちの良い大きな広間が出てきます。
ここが、方丈(昔の教室)の中になります。

ここを訪れる方はみな縁側に出て、先ほどの南庭園を眺めながらしばらくのんびりしていくようです。

しばらくのんびりしたら、ほかの庭も眺めながら、建物の中を廻ってみましょう。



こちらが書院の中。 書物を読むというよりは、、、ゴロッと横になって寝ちゃいそうです。。。

この書院から孔子廟を望む景色が素敵なようなのですが...残念ならこの中に入ることは出来ませんでした。

こちらは中で展示されている書物たち。

さて、建物の中を一通り見学したら、今度は建物のまわりをまわってみましょう。
まずは、建物右側にある”木小屋”と”土蔵”。
木小屋は薪木、農機具や漬け物などが保管された場所で、土蔵は書籍以外の大切なものなどを保管しておいたところです。

こちらは孔子廟を裏から見たところ。

孔子廟の裏を過ぎると ”庠主(校長)の墓” があり、そこを左側の方へ廻ると、そこにはすてきな竹林がありました。


ということで、これで足利学校の散策は終了となりま~す。
散策を終了したら、次はお隣にあるもう一つの観光名所 ”鑁阿寺(ばんなじ)” に向かいます。
足利学校の出口に向かうところで、こんな少年に出会いました。 アニメの”ワンピース”に出てきそう。。。

そして、最後は足利学校を出たところにあるおそば屋さんの看板。
この日は”そば打ち名人”が来店していたようです!
ちなみに、私のお昼ご飯はおにぎりで済ませることになっちゃいました...

ということで、今日のところはここまで。
次回は、お隣にある”鑁阿寺”をご紹介します。

では。
! Hasta luego !
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